羅針盤をなくした船からの脱却
第二章で触れたように、上司は、私への告白から1カ月後にスイス本社に行ってしまいました。
あの厳しい上司がいなくなったことで精神的には楽になるのかもと、少し期待していた私でしたが現実はもっとそれ以上に厳しく、不安感も相まって大波に翻弄される羅針盤を失った船の様に、大海を彷徨う日々が続きます。
私は、彼から言われた厳しい教えを思い出したり、また読むように指示をされ購入した書籍達をもう一度むさぼるように読み返しました。
Return on Investment (ROI)とは、会計用語で投資収益率という意味ですが、この元上司はこの言葉を「自分に投資しなければなにも得ることは出来ない」という意味をもたせ、それを口癖の様に使っていました。私はその言葉の通り「自分への投資」だと書籍は借りるのではなく自分で買うようにしていたのです。
当時の私は、そんな元上司が残していった数々の教訓のお陰で、企画の仕事もデザインの仕事も何とか一人でもこなせるようになり、仕事の醍醐味も分かり始めていったのです。
夢の島に行くのだよ
やがて私に新しい上司が付きます。その上司は541課の山用品の課長を兼任していて、私のお目付け役という立ち位置。実際の所は具体的な仕事へはノータッチでした。性格的には以前の上司とは真逆で、とても気遣いをされる方でした。ただ、私の仕事の内容についてはほぼ興味が無かったのではと思います。
そんな中、事件が起こります。
中堅社員研修で物流倉庫に研修に行った日の事。そこで私が目にしたものは、倉庫に横付けされた大型トラック。その中に自分で企画しデザインした新品のスキー板やバッグが無造作に山積みとなっている光景です。それは我が子をすぐに見つけられる母親と同じ様に、遠くからみてもすぐに判るものでした。
そこで私は、物流部の次長に尋ねます。「次長、あのトラックはどこへ行くのですか?」
そうすると次長は「夢の島へ行くのだよ」と言われました。
夢の島。。。それは昔の話ですが、東京・新木場の埋め立て地にあった「ごみ廃棄場」です。
夢の島という名前はだれがどんな気持ちで名づけたのか知りませんでしたが、当時の私にとっては悪夢としか例えようもないほどのショッキングな事件でした。
…それから辞表を出すまでにそう時間はかかりませんでした。
辞める為のプレゼン
当時私は未婚でしたが、『未来の子供から「パパのお仕事はなに?」って聞かれたときに、「パパのお仕事はゴミを作るお仕事だよ」って言いたくないですし、絶対に嫌なのでやめさせてください。』と、直属上司の541課の課長を飛び越え、開発部の部長に願い出ました。
それは541課の課長には申し訳ない気持ちもありました。兼務とはいえ私のお目付け役としての立場であった為に、退職希望を言いづらかったのもあります。勿論育ててくれたスイスに移動した元上司にも話を通すべき所でしたが、スイスと東京では、今と違って手紙でしか連絡の取りようもなく、考えぬいた末に部長に進言したというわけです。
しかし結果はNG。辞めてほしくないと他部署からも同僚からも引き止められた私は、同じ企画開発部のウエアー担当の先輩のアドバイスもあり、辞める理由と今後の進路について、前代未聞の退職願いのプレゼンをする事にしたのでした。
当時の大量生産・大量消費という言葉どおり、すでにモノ余りの現実がこんな身近なところでも起こっているんだという思いを強めた私は、モノが必要以上に増える現状は、やがてモノの需要を押し下げることになるという内容でした。
そのプレゼン資料の中のわかりやすい図式がこちらです。
【図】1) モノの需要が減り、逆にこころの需要が高まってくるという仮説
大量生産・大量消費という高度成長期といわれた時代のものづくりには、売れなければ即廃棄、という悪しき習慣めいたものがどの企業にもあったように思います。
私が好きだった仕事を辞めたのは、やはり本当に世の中のためにならない仕事には就きたくないという、ごくごく自然な欲求でした。
改めてこの相関図を見てみると、このグラフが正しか正しくないかではなく、 本当に約40年過ぎた今もなお言い得ているのではないかと、改めて思います。
新宿のとあるバーにて
前代未聞の退職プレゼンが終わった後、肝心の退職願を提出した開発部の部長からは何も特別な話はなかったように記憶していますが、別の部署であるウエアー営業部長から呼び出され、その日の夜、新宿のとあるバーに連れていかれました。その部長は私と同じ大学出身の先輩で、私のことも都度気にかけていただいていたようでした。
そのバーは美輪明宏さんがママをされているお店でした。
私は何も聞かされる事もなく行ったので、まさかカウンター越しに美輪さんがいる姿を間近で見るなんて…と、しばらくは事態を見極められず、部長と美輪さんとのたわいのない会話がひとしきり終わるまで、居心地の悪い時間を持て余しながら只々ひたすらに手元のグラスを口に運んでいました。
「あっらー、初めてのお方ね!いらっしゃい。」
「はい、初めまして。」とだけしか、最初私は言葉を発せられずにいました。
その声はまさに美輪明宏さんの声。新宿二丁目界隈には有名芸能人にふん装する様なお店もあったため、実はご本人かどうかは判断できずにいたのですが、そのオーラは圧倒的でいい意味で他を寄せ付けない気風が漂い、大きな愛で人を包み込む力を感じました。
カウンター席もボックス席もお客様で一杯。その時、私は何故ここへ私を部長が連れてきたのか理解できませんでしたが、後日、その部長から「美輪さんに君のことを観てもらったんだ」と、そう聞かされた時には驚くばかりでした。
「あの子は、これからいっぱいいろんな経験をして、苦労は多いけれど最終的には成功するから、何も心配はご無用。
だからあの子を引き止めたらだめよ」
その様に美輪さんは部長に告げられたそうです。
そして私はそんな言葉に妙な自信をもらいつつ、無事に脱サラをしたのでした。