MY STORY

私のストーリー(気まぐれ日誌)

2022-04-19

気まぐれ日誌 第二話:【散る桜 残る桜も…】

先日、東京から友人の田口くんが二人のアーティストを連れて京都へやって来た。

クリスとMUちゃん。二人とも画家として個性豊かなアートを創作している。

友人の頼みという事もあって二人には初歩的な香りの受講と調香の体験を弊社のショールームで経験してもらった。

「アート×フレグランス」は以前から想い描いていたコラボレーションなので、僕もかなり力を入れてお教えした。

その結果、とても充実した二日間を過ごせたと思っている。

二日目は、ラボに移動して開発中の特殊な香りの絵具で絵を描くという初めての試みを行ってもらった。

まずまずの成果だった。

二人のインスピレーションが僕の創作の香りと化学反応を起こし、嗅覚と視覚のクロスモーダル(多感覚)なアートが産まれる予感を感じた。

京の街中の桜はほぼ散り去っていた。

でも東京へ帰るまえの三人には見せておきたい景色があった。

東山の将軍塚にある京都の街を大パノラマで一望できる「青龍院」の大舞台だ。

四神相応の東西南北を眼下にみてとれるため、遠方からの客人にはここへお連れすることにしている。

そして驚いたことには、その庭園にはまだ見事に咲き誇った枝垂れ桜が静かに僕たちを出迎えてくれたのだ。

有終の美を湛えて・・。


「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛和尚)

この言葉は、江戸時代の曹洞宗の僧侶で歌人でもあった良寛和尚の絶世の句と言われている。

どんなに美しく咲いていても、早いか遅いかの違いこそあれ、いつかは必ず散りゆくのだという命の儚さと尊さを達観した言葉だと思う。

良寛和尚のこの句を受けて親鸞上人も言葉を残している。

「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞聖人)僕たちは常に明日があると思って生きている。

しかし、その想いはいつ散るかもしれない儚い桜のようなものなのだという達観を得た言葉だ。

今を大切に生きることが重要だという話は誰でも受け入れられる。

しかし、それは本質的には最も難しいことではないのだろうか。

毎日、毎日、死ぬことに追われ続けていると実生活に支障もきたすだろう。

心の準備は心の奥に大切に仕舞っておいて、毎日は没頭して生きてゆきたい。そんなことを考えながら彼らと別れた。

100%の確約はできない「また、会いましょう」という約束を交わして・・・。