MY STORY

私のストーリー(気まぐれ日誌)

2021-04-20

第一章:【就活から新入社…鬼上司との出会い】

はじめに

みなさん、こんにちは!私が香りの世界に身を置くことになるまでの長い道のりのお話をさせていただきます。

そして、それは私の中では必然だったのだと今は思っています。

私の就職活動

私は、京都生まれ。大学から東京へ移住し、卒業と同時に外資系商社に就職しました。 というか、就職活動では様々な業界をまたいで気になる企業を片端から受けたのですが、結果最終面接まで進んで受かったのはここだけだったという理由しかありません。

某大手出版社、某大手放送局、某大手アパレル、某大手商社、某大手食品会社などなど。当時の就職活動においても今と変わらない様相でした。というのも 「リクルートスーツ」というものがその当時からあったのです。大学時代には、ほぼほぼご縁のなかった制服のようなスーツに身を包み、面接に挑むことは、私にとっても苦痛としか言いようのないものでした。

「借りてきた猫」とはよく言ったものですね。学生時代では、音楽とアルバイト、酒とマージャンしかなかったような暮らしぶりの私でしたが、「可山優三」(可の評価が山のようにあって、優の評価は三つしかないというたとえ話:俳優の加山雄三さんをパロって) にだけは、ならないように、優はなんとか二桁にしていましたが、結果は最悪でした。

同期の仲間たちは、面接が終わるたびに大学の軽音楽部(部活)の部室に集まって結果報告をしては、また戦場に旅立つという日々が続いていたのですが、私が部室に行くとその日そこにいた先輩から助言をもらいます。

「髙木、お前のそのスーツは似合わないからすぐにやめた方がいいぞ!」

「お前らしさが何もないから、落とされるんじゃないのかい?」

そういわれた私は、自分でも薄々は気づいていたので、すぐに行動に移します。 当時流行っていた三つ揃えのスーツ。ベージュの生地にオレンジとこげ茶色のストライプが入ったパンタロンスーツを購入。

さらに、オレンジと淡いブルーのツートン柄の上に蝶々が飛んでいるデザインの森英恵さんのネクタイ。そして少しヒール高のあるベージュとブラウンのコンビのシューズを買いました。

自分らしく臨んだ面接の結果は?

そして最後に選んだ面接は、スイスの総合商社です。

面接は順調に進み、筆記試験の英語の問題では貿易用語があまりわかっていなかったのですが、持ち前の想像力を働かせてなんとか切り抜けられました。

最終の部長クラスと役員の面接では、予想していた質問は一切されず、「君はお酒どれぐらい呑めるかね?」と聞かれただけでしたので、あぁ、これはまた、だめだなと思いながらも、「日本酒なら一升はいけます!」とだけ答えて、その場を去ることになったのです。

結果の通知は意外に早く来ました。「合格」

配属部署はまだわからなかったのですが、この会社は、当時はヨーロッパのほとんどの有名なブランドを独占で扱っていました。

シャネル、エルメス、レ・マスドゥ・カルチェ、バリー、コンテス、プーマ、ミレー、カレラ、トレトン、ゲッツェ、クナイスル、コフラック等々。

今や日本国内では、すべて独立法人となってしまいましたが、当時の社内バーゲンでは、従業員の家族や友人たちが貸し切りのホテルの前に長蛇の列を作り、時には商品の奪い合いが始まって私たちが仲裁に入る場面もあったことを思い出します。4泊5日の地獄のような新人研修が終わり、西熱海の研修施設から解放された私たちは新宿の本社に出社しました。

そして私はスポーツ用品事業本部の企画開発部という部署に配属されヨーロッパブランドのスキー板やテニスラケットなどの企画とデザインをすることになります。

上司との対面

新人研修で苦難を共にした同期達もそれぞれの部署に配属されたのですが、その同期からも日々の仕事のことや上司から誘われて飲みにつれてもらったことなどは聞かされていましたので、私もてっきり上司には新宿の飲み屋街に連れてもらえるものだと思い込んでいました。

しかしながら、私の上司は他の部署の方たちとは違っていました。

上司とのご対面のその日私は、教えられた通りに彼のデスクの前に立ち、一礼をしてから、

「初めまして、この度企画開発部511課に配属されました髙木と申します。一生懸命頑張りますのでどうぞご指導のほどよろしくお願い致します。」

直立不動のまま上司からの言葉を待っていましたが、彼は一向に顔を上げることもなく、なにやら机上で書き物をしているようでした。

    

そしてしばらくして、その手が止まったと思った瞬間・・・

彼は徐に A4 サイズのその紙をノートパッドから一枚ちぎって、立っている私の顔に向けて差出したのです。

「おはよう!初めまして。君にはそこに書いてあることを今日から一つずつ達成させてもらいます。心して仕事に励むように!」

そこには、21項目の箇条書きのやることリストが記載されていました。

  • 1.TOEFL で800点以上を取ること
  • 2.運転免許を取ること
  • 3.日経流通新聞を購読すること
  • 4.30歳までに MBA を取得すること
  • ・ ・・・・・・・・・・・・・
  • 21.入社後3年で独立できる能力を付けること

このような内容の21項目でした。

この最後の21項目目に大変びっくりした記憶がありますが、この21項目目の下には、けして口外無用と書かれていました。

ただただ、びっくりするしかないこの状況をしばらくは飲み込めないでいました。そして、この人は只者ではない!と。

それからもこの上司は一切妥協を許さず、私は厳しい指導を受け続けることになります。

次章へ続く・・・・